ようこそ彦根へ(5)
<三の丸、二の丸>
それは柿の実がなっている頃でした。鳥居本で柿渋を実演するイベントが催され、このイベントを企画した学生さんから鳥居本側から佐和山城跡へのコースをガイドしてほしいと頼まれた。女性3人、男性2人、私を含め6人のメンバーで歩き始めました。
<三の丸>
最初、馬冷池を見て、池の少し奥まで進むと、目的地の二の丸が目の上に見える。地元古老の話では、二の丸を右に見て、左側の傾斜部コースが「シラミ坂」だとのこと。(「シラミ坂」:佐和山城へ登城するときに、途中で夜が明けて明るくなる「シラム」から名づけられた坂。)
今では道もなく、もと来た道を戻り、三の丸を目指す。三の丸は島左近が詰めた所といわれている。ここまでは山道がはっきりついて、登り易い。しかし、この三の丸は防御に良い場所だろうか? なだらかな登り道と、左右は急勾配となっていて、守り易い所だろうかなと思いつつ、少休憩する。柿の実がなっている時期は、まだ下草が枯れていなく、丈夫で足に絡みつく強さがある。女子学生は足元・シャツなど充分な準備をしていたが、男子学生は低い山だと考えていたのか、靴とサンダル、シャツは半袖と軽装だ。「この時期だとまだ蛇が活動しています、足元を注意して下さい。また時々蜂も出ますので、半袖の人は気をつけて下さいね!!」と二の丸を目指す。

<二の丸>
二の丸へのコースは、それこそ藪また藪で、足元には山道があるが道を覆っている「つる状の草」や、小枝が藪をなしていて、先頭と離れたら、声はすれども姿が見えなくなる。
尾根状の所を歩き、二の丸の下、堀切に出る。二の丸の山側は急勾配だが、三の丸からの尾根伝いでは堀が埋っていて、浅い堀切である。しかし、防御面では良さそう。急勾配を枝やつるを手に登ると、フラットな所に出る。ここも背より高いブッシュの集まりで、全然先が見えない。(2005年末、彦根市文化財課によって、調査のため木々が伐採されており、意外と広いのにびっくりした。)
そして、二の丸へ到着、二の丸は別名土佐丸(井伊家家老木俣土佐守勝が詰めた)といわれ、三成時代には三成の兄正澄が詰めていた所である。二の丸の北側に一段下がった所がフラットになっており、ここには瓦が多く残っていて、三成の時代には瓦のある屋敷があったのだろうと推測される。
二の丸は展望も良く、急勾配の坂で保護されていて、弓矢の時代であれば充分戦える、良い砦の役目を果たしていたのだろう。また、400年間、誰もが手を加えていない、見事な堀切が残されている。(市文化財課の調査のため木々が伐採された後では、全体が良くわかる。)
そういえば、私の直ぐ後をサンダル履きの男子学生がついていた。「女性に前を歩かせて、男性は最後尾からお願いします!」と頼んだら、いかにも心細げな顔でついてきた。
しかし、この学生は今年(2006年)の3月にも、特別コースを依頼してきた。この時の彼の足元は、バッチリ決まっていた。







