木村重成首塚

彦根城から南に伸びる夢京橋キャッスルロード沿いにある宗安寺の墓所に「木村長門守重成首塚」があります。

木村重成首塚全体

木村重成は、徳川家と豊臣家との争い「大坂の陣」で豊臣軍として戦った武将です。
彦根から井伊直孝が家康軍として参戦し、木村重成軍と衝突しました。一進一退の攻防の末、辛くも重成を討った直孝軍は、その首をススキにくるみ、戦果として持ち帰りました。
重成本人であることを確認した直孝は、家臣の安藤氏に「懇ろに弔うように」と申しつけ、重成の首は安藤氏の菩提寺である宗安寺の墓所に葬られました。

一つ不思議な話。
重成の首を包んだススキは、佐和山下に根付いたそうです。佐和山の麓で重成の首を洗ったと言われています。
このススキ、毎年赤く染まるので誰ともなく「血染めのススキ」と呼んだと伝えられています。
明治になってもそのススキは繁茂していましたが、佐和山の麓に鉄道の線路を敷くに当たり、佐和山神社の境内に移されることになります。その後、佐和山神社が廃社となる際に隣地の井伊神社に移されましたが、度重なる移植で弱ったのか、枯死寸前の状態になったそうです。現在も井伊神社境内に残ります。


血染めのススキ
現在も井伊神社に残る「血染めのススキ」

それを首塚がある宗安寺の境内に移したところ、数ヶ月で生彩を取り戻したといわれます。


血染めのススキ
宗安寺に移された「血染めのススキ」

今もススキは境内の一角で生い茂っています。
月の美しい季節。謎は謎のままで……

ちなみに木村重成首塚の碑文は、日下部鳴鶴によるものです。


木村重成首塚碑

鳴鶴は、明治の三筆と称される日本近代を代表する書家です。
鳴鶴についてはまた別の機会に。
ご期待下さい。

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