大洞弁財天の大黒天

大洞弁財天(長寿院)の楼門には、約4000体の大黒天像が祀られています。
大黒天像は、かつて内湖に百間橋が掛けられた際の残り木で作られたものだそうです。

ずらりと並ぶ大黒天

彦根の北北東に位置する大洞弁財天(長寿院)。
彦根藩四代井伊直興により建立されたものです。日光東照宮修造奉行を務めた人物です。弁財天堂の造りは権現造り、阿弥陀堂の欄間には眠り猫が彫られ、彦根日光ともいわれています。
直興は時期を同じくして、百間橋の残り木で、大黒天像(高さ10cm程)を10,000体作らせ、大洞弁財天楼門に納めたそうです。現在では4,000体は楼門上に、3,000体は裏参道途中の経蔵のなかに祀られています。

百間橋とは、かつて、石田三成の重臣・嶋左近が内湖に渡した全長約540mもの橋です。ちなみに、一間は約1.8m。百間ということは180mですが、実際の長さは三百間だったそうです。

大洞弁財天の楼門には4,000体の大黒天像に囲まれ、甲冑を身に付けた大黒天が祀られています。

甲冑大黒天

大黒天と言えば、七福神の中の一人。
日本では、ふくよかな顔に笑みを浮かべ右手に打ち出の小槌、左肩からは大きな袋を担ぎ、米俵に乗っている姿として知られています。
商売繁盛、一家繁盛の福の神です。
大洞弁財天の甲冑大黒天は、いかめしい顔に口を大きく開き、打ち出の小槌に袋も担ぎ、甲冑を身に付け、大きな丸太に座っています。
大黒天はインド、ヒンドゥー教の最高神シヴァが日本に入ってきた姿。
シヴァの別名は「マハーカーラ」。破壊と創造の神シヴァが世界を破壊する時の姿。
「マハー」は大きな、「カーラ」は闇・黒という意味。
後に、「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と音の読みがつながる事から習合され、一般的な現在の姿になりました。


大黒……、大きな闇に何もかもを吸い込み無にしてしまう……。全ての破壊……その先の創造……


楼門の上部の空間には憤怒の形相の「マハーカーラ」大黒天がいる。鬼門を背に彦根の方角をグッと睨んでいる。
同じ空間に「マハーカーラ」を左右から囲み笑いかける4,000体の「大国主命」大黒天がいる。

木彫りの大黒天

大洞会役員の北川猛さん(73)によると、長年を経るに従い、1万躰あった小さな大黒像にも傷みが生じ、欠損するものが出てきているそうです。
「石田三成から井伊直興までつながる歴史があることを多くの人に知ってもらいたいです。そして、これからも大切に守っていきたい遺産です」
現在大洞会では、この大黒天像を1万体まで復元するべく、寄付を呼びかけている。弁天堂で一体3,800円の大黒天像を購入し、寺内に奉納することができます。


問い合わせ : 長寿院 TEL.0749-22-2617

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コメント

最近の豆知識クイズもそうですが、かなりマニアックな内容になってきましたね。素人ではなかなかむずかしくなってきました。
それにしても第四代藩主井伊直興は相当なお方だったのでしょうね。
玄宮楽々園といい、大洞弁財天といい、いくつも造営しているんですね。
平和な時代であったということでしょうか?

かっちんさん、コメントありがとうございます。
大洞弁才天が建てられたのは、元禄八年(1695年)、ちょうど江戸時代が安定を向かえ、華美な文化が花開いた頃なので平和な時代だったと思われます。ちなみに直興は、松原港、長曽根港も改修したそうですね。
最近、確かに難しくなってきてますね。しかし、彦根のマニアックなところはもっと紹介していきたいので、お楽しみに!